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昆虫と微生物の研究とアート

体罰について

ちょっとしたきっかけで、「体罰の会」というものの存在を知った。ホームページを見てみると、トップに戸塚ヨットスクールの校長を講師に招いて緊急集会を開くという。

 

何人もの子供を虐待・暴行し、死に追いやった悪名高い団体だ。

 

刑務所から出所してからもまだ子供の教育に携わっているという。しかも支持者が結構いるというから恐ろしい。

 

自分の経験で言うと、中学時代には確かに体罰が必要だなと思えるほど手の施しようなないような人たちはいた。そのような人は、小さいころから暴力を受けて育っていることが多い。暴力は暴力を産む。暴力を受けてきた人は、暴力によってしかコミュニケーションができなくなる。生死にかかわるもっとも激しい部分であり、わかりやすいからだ。このホームページに書いてあるとおり、本能に近い部分だからだ。

 

子供のある時期に死に直面するような目に合わせると本能が活性化し、生きる意欲を強く持った立派な人間になると彼らはいう。これを立派とよぶかどうか別として、確かに強い人間ができるかもしれない。

 

こんなことを本気でよしとしている人たちが存在していると想像するだけで吐き気がする。

 

自然の状態、野生の状態がいいとするのは、「自然に訴える論証」という論点のすり替えであり、もっとも一般的な自然主義的誤謬のひとつだ。

 

「種内攻撃は悪ではなく善である」ということを動物行動学を確立してノーベル賞を受賞したコンラート・ローレンツが科学的に証明しました、なんて書いてあるが、このこと自体も間違いだし、そんなことを言い始めたら、窃盗、暴行、殺人、レイプ、なんでも「善」ということになるだろう。(じっさい動物の社会は結構壮絶だ)

 

人類は、長い年月をかけて動物のように野蛮な状態から少しずつ抜けだし、まがりなりにも文明的、文化的なものが現れ、できるだけ多くの人が豊かに快適に暮らせるように、社会をよくしようとしているのに、このようなあまりにお粗末で危険な考えがある程度まとまった数の人々に受け入れられていること自体が悲しいことだと思う。